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東京天竺とは、文化学院小説ゼミの有志で始めた同人誌。小説やエッセイ、漫画などを掲載。詳しくはカテゴリ『東京天竺1号』『東京天竺2号』ご覧下さい。


by tokyo_tenjiku

第14回突撃!隣のフェティシズム『サマー・ナイト・ジャズ』

『サマー・ナイト・ジャズ』高橋アルパカ




 ステージの奥のほうは、あまり照明が届かない。町の小さなジャズハウスでは照明も音響も申しわけ程度なのだろう。地元の客がそれぞれのテーブルで思い思いの話に没頭し、バンドの演奏もBGM以上には成り上がれない。この客席であの男を見ているのも、たぶん私だけ。光が当たりきらない後ろの方で、身の丈ほどの大きなジャズベースを抱え込むようにしてピッツィカート奏法に終始している目立たない男。
──きっとつまらない男だわ。きっと普通の男。
 それなのに、私は男から目が離せない。男は豊満なジャズベースを愛撫するように、繊細な肌の感度を確かめるように、小刻みに指を弦にあてる。悩ましい目つきで陶酔している名前も知らない男の姿に、燃えるような嫉妬で心を掻きむしられている自分に気づく。
──何よ、たいして巧いわけじゃないくせに。
 実際、たいして巧いわけではなかった。バンドの名前だって聞いたことはないし、憶えるつもりもない。どうせ場末のジャズハウス。安いギャランティで演奏しているレベル。メンバーは皆が皆、冴えない顔をした男たち。それなのに、あの男。あの男のせいで、私の自尊心はズタズタだ。いや、快楽に泳いでいるさまを見せつけるあの忌々しい楽器こそが、私のコンプレックスをジリジリと焦がしている。
 八つ当たりをする連れもなく、持て余してしまったこの激情をウォッカトニックで流し込む。演奏を終え、客席のテーブルで肩をすぼめて煙草に火をつける件の男を盗み見ながら、私はウォッカトニックを今度は強めでもう一杯頼む。そしてもう一杯。たぶん、今夜、私は求めているのだ。でも、あんたとじゃないの。
 お酒のせいで、と言いわけが必要な火照った身体を引きずるように、いつもの倍の時間をかけてたどり着いたアパートには、飽きるほど見慣れた男がテレビをつけっぱなしで眠っている。サイドテーブルには空の缶ビール5本と食べかけのスナック菓子。私は軽くため息をつき、テレビを消して、煙草のにおいの染みついた服を脱ぐ。乱暴にベッドに滑り込んでも、どうせ彼は私に気づきもしない。
 目を瞑っても、まだ世界が瞼の裏でグルグルと回って眠れそうもない。いびきを轟かせて眠るこのつまらない私の男の隣で、私は自分の身体にそっと触れる。もう顔も忘れた冴えないベーシストが、私を奏でる様を想像する。下手なジャズすら聴こえてこないけど。



【次回紹介】

キリシマ ユウさんをご紹介します。
私にとっては少し歳上の、しかし双子の姉でもあります。
見て、考えて、食べて、飲む、人です。
心はよくどこかに飛んで行ってしまいます。
いまどこ? と聞くと、違う国の名前が返ってくることがあります。」

一体、どんな方なのか!?どんなフェテシズムを持ってくるのか、
その答えは9月17日に明らかに!
by tokyo_tenjiku | 2010-09-03 14:35 | 突撃!隣のフェティシズム